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Thursday, March 17, 2011

君主の器

最近、何かっちゃ引き合いに出されている明治維新だが、歴史としてではなく歴史観から作り上げられた妄想が先行しているようなイメージで語られていることが多い。

坂本龍馬や高杉晋作をヒーローにするのも、ありかもしれない。
でもそれは、お話の世界での話。

この国のシステムは、当時から彼らが活躍しただけで動かせるような、そんな単純なものではなかった。
高度に官僚化され秩序化された、洗練したシステムを構築していた。

そのトップに座るのが、選挙によって選ばれた首長ではなく、世襲の殿様であるというところは大きく違っているのだが。

しかし、この殿様は、小さい時から徹底的に“君主とは如何にあるべきか”という教育を受けている。
組織としての合意を重んじ家臣と民衆を気遣う立派な殿様を演出するための様々な秘技を体得させられる。
財政が厳しい状況下に育てられた殿様の中には、徹底的に倹約意識を叩き込まれて晩酌すら出来ないカラダにされてしまったヒトもいるほどだ。

時に、臣下が望む“殿様イメージ”から逸脱する型破りな殿様も出てくる。
そういう殿様は、領内に様々な問題を惹起し、時に内紛までも招きながら、結果として後世に“名君”の名を残すこともある。
やりすぎて、家臣によって座敷牢に閉じ込められることもある。

逆に、「そーせい侯」などと呼ばれ、家中の諸政治勢力から崇められた殿様もいる。

暗愚な殿様の代名詞ともなっているこの「そーせい侯」、実はワタシはその殿様を、幕末維新期において最も君主としての資質を備えた殿様だったのではないか、と思っている。

藩内の重要案件は、財務・行政・教育等々、種々の現場で実務を担いつつ昇進してそのポストに就いた、有能な官僚集団が起案する。
次にそれを家老集団が評議するのだが、必要であれば起案者にその同僚も交えた会議が召集され、世襲の家老集団をサポートする。
そこで、“これでいきましょう!”ということになると、政策担当の家老が殿様に“裁許”を求める。

「そーせい侯」と呼ばれるからにはその殿様、「そーせい」と仰せになる確率が非常に高かった。
このような「そーせい侯」の政治姿勢は、後に中・下級武士が好きに藩政を牛耳っていたかのような評価を同藩に定着させているが、実はこの殿様、藩政の改革と国政に燃える熱き心を秘めていたことが、最近なんとなく分かって来た。

「そーせい侯」も、納得できないことについては、“もう少し考えてみよ”と、差し戻すこともあった。
時に家老ばかりでなく官僚までも集めて目の前で「会議」をさせることもあった。
「これは預かっておく」と、結局握りつぶしたこともあった。
藩政を優先するために毎年の江戸参りを今回はお休みする!とか言い出して、道理の分かった家老にお目玉くらったこともある。
江戸城で老中相手に膝詰談判をやってのけたことだってある。
もっともこの時家臣の皆さんは、他藩からの問い合わせにびっくらこいて、「うちの殿様がそんな大それたことをなさるとは思えませんが…」と答えていたが…。

当時子ども手当なんてものはなかったが、民心操作が必要なときには、この殿様のお手元銀、つまり殿様のお小遣いを財源としてばらまき政策が採られた。
リスクを伴うベンチャーな産業を興したいと願い出る家臣がいれば、藩費ではなく殿様のお小遣いからポーンと費用を出すことにして、「そーせい」となった。

なんて豪気な殿様。

しかし、こんなエピソードもある。
ある参勤交代の途中、殿様は珍しい屏風を見せてもらった。
相手も売りたそうだったし、殿様も気に入ったみたいだったのだが、殿様は何にも言わずにその場を立った。

「どうしてお買い上げにならなかったのですか?」
「どうしてわしの道楽に10両の大金が使えようか。」

この殿様、実はケチ?
なんでも、日頃から質素な食事に晩酌もお代りもせず、木綿の着物でつつましく暮らしていたらしいし。

しかしそのケチな殿様、時に盛大な宴会を催して家老や官僚たちをねぎらったという。

中には泥酔して、政治方針の不満を殿様に向かって暴言でもって吐くものもいたらしいが、おぼっちゃま出身のお行儀のいい家老衆は顔面蒼白だったらしいが、殿様は特に気に留める風もなく、「酔いが醒めれば分かるぢゃろう」とか言ってたそうだ。
もちろん、そんな時にも殿様自身は飲まなかったそうだ。

こういう殿様だから、藩内が割れて内乱状態になっても、どちらの勢力もこの殿様をいただくことに異を唱えたりすることはなかった。
外国船にケンカを売ってこっぴどい目にもあったけど、日本中を敵に回して戦争なんかすることにもなったけど、この殿様を頂いて、上から下までが一丸となって戦った。

いろいろな条件が重なったとはいえ、この藩は勝った。
そして、そこから明治維新への動きが加速する。

この殿様の名を毛利敬親、その藩の名を長州藩という。

君主の器は、危機の時にどれだけ人を動かすことが出来るかで量るべきだ。
パフォーマンスだけでは、人は決して動かない。

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