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Saturday, October 02, 2004

畫龍點晴~京劇~

ワタシの記憶が正しければ、それは1993年頃の《中国京劇》に掲載されていたと思う。北京京劇院が発表した、新編京劇の記事である。詳しい内容は忘れてしまったが、タイトルは画龍点睛、唐の太宗李世民を主人公とした歴史劇で、主演は張学津だけ覚えていた。

張学津といえば、1992年の日中国交正常化20周年記念来日公演京劇三国志で諸葛亮を演じ、森本レオの声で「殿、ご決断を!」と言う、オオカタの日本人の諸葛亮イメージを粉砕して、一大センセーションを巻き起こした(←かどうかはギモンだが、かなりの衝撃であったことはタシカ)名優である。覇王別記でレスリー・チャンが演じたあの役に優るとも劣らないウツクシサと儚げな肢体、そして高い声を誇った名旦張君秋の息として生を受けた彼は、長じてオヤジのイロケ・・・もとい、未だ小学3年生の女子児童をも開眼させる、溢れんばかりのオジサマのマリョクを湛えた名生となった。(註:これは、惜しみない賛辞です)

当然ワタシも、張学津によって新しい世界を開かれてしまったコムスメの1人だった訳だが、その後この新編京劇画龍点睛を聴く機会はついぞなかった。あの、妖しげなイロケを振り撒いていた諸葛亮が、一体どんな李世民を演じるのか?
そもそも李世民についても、ジエット・リーがまだ李連傑と名乗っていた頃、初めて出演した名作少林寺に出てきた、酒戒を緩めるのに一役買ったオジさんという、これまた貧弱なイメージしか持ち合わせてはいないワタシだったが、以来龍衣を纏った恰幅のいいあの画像に出会うたび、なんとなく親近感を持って眺めてきたのである。

幸いにも今夏台湾へ旅行した折、数編の京劇のVCDを手にすることが出来た。その中にこの画龍点睛を見つけたときには、ちょっとうひょひょひょ♪モノで小躍りしたものである。そして今日、その他イロイロなVCDやらDVDやらを彷徨して、やっと画龍点睛に辿り着いた。前書きが長くなったが、以下、本題に入ろう。

唐王朝も太宗李世民の治世になると、各地の戦乱も収まり、一見泰平を享受しているように見える。李世民はそれを磐石のものとするため、諸臣に意見書の提出を求めるが、皆その政事を褒め称えるものばかり。そんななか、目の入っていない一幅の龍の絵が、李世民に呈せられた。じつはこれは、馬周という書生が画いた、李世民の治世に警鐘を鳴らすメッセージだったのである。

この絵に啓発された李世民は、親からの目で民情を視察しようとお忍びでお出かけする。途中馬が暴れて供とはぐれ、とある茶店で休息を取る。するとそこには不似合いなまでに見事な龍の画が掛けられているではないか。よく見ると、その絵は点睛を欠いた龍とまさしく同一人物の手になるもの、李世民は、その店が馬周縁の店と察し、店の女主人に馬周の消息を尋ねる。

そこへ、某県令が馬周を連れて登場、皇帝が馬周を厚遇しようとしているのを知り、女婿として一緒に栄耀栄華を極めようとのシタゴコロである。臨席しているのが皇帝とも知らず、権力と財力をちらつかせて馬周を懐柔しようとするが、馬周は頑としてそれを拒み通す。その執拗さに馬周は、ついに女主人を呼んで、彼女こそが15年来流離の身の上となっていた、自分の筒井筒の恋人であることを公表する。彼の県令の女婿となるよりは、再会したばかりの恋人と清貧のうちに一生を終えるとの決意に、李世民は二人の媒酌を買って出る。しかし県令はそれを阻み、二人を捕らえて牢に押し込めたばかりか、李世民にも辱めを与えたのである。

日が落ち足元の覚束なくなった長安路を、上着を剥がれ寒さに震えながら、空腹を抱えた李世民がトボトボと往く。彼はここで、県令の横暴によって虐げられた百姓の怨嗟を体感する。いかに制度を整えようと、皇帝の目は節穴だという痛烈な政治批判を上呈した馬周の憤り、またそのやり場の無い恨みに絶えねばならぬ民衆の悲嘆と苦悩に、やっと思い至るのである。

その翌日、突然聖駕が県令の下へ行幸した。県令は昨日のマヌケな男が実は皇帝であったと、その時初めて知って腰をぬかす。しかし時既に遅く、女店主は県令の無法な仕打ちによって最早虫の息、皇帝の前で自らの指を喰い破り、血の目を入れて息絶える。最後の言葉は、「君よ、やり場の無い民衆の憤りを忘れたもうな」

李世民は馬周を登用して、無能な管理が横暴の限りを尽くす現状を改め、唐代磐石の基とすることを誓うのだった。

このVCD、画像は悪く音は割れ、ところどころブチ・・・と切れたりして、コンディションは最悪である。唱を鑑賞するとかいうレベルのものでは全く無い。それでも、やっぱり張学津はよい♪ ナマモノの彼がもう一度見たいと、改めて思った。
 
しかし、字幕が歌唱部分にしか入らないのは、極めて辛い。にも関わらず、セリフの端々にウイットの効いた風刺が盛り込まれていることは、客席の反応からも伝わってくる。上に立つ者に目がなければ、権勢欲と汚職に塗れた官吏が蔓延り、民衆の怨嗟の声は決して届かない。しかし、民の中にはそのような怨嗟の声が鬱積しているのであり、上に立つ者は苦言に耳を傾け、官吏の選任を適正に行い、悲憤に倒れた民衆の声を、決して忘れてはならない。この新編京劇は、中国共産党中央部に対して発せられた、強烈な政治的メッセージなのである。

言論が厳しく統制されている情勢下において、政治批判を過去の歴史的事象の中に投影して発信する事例は、枚挙に遑が無い。1989年の天安門事件を経て約5年、そのような時期にこの新編京劇画龍点睛が上演されたという事実が、ワタシにとっては大きな衝撃であった。『中国京劇』にどんな論評が載ったのか、ちょっとやそっとでは見つけられない本の山をひっくり返して探してみようと思う。

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Comments

sakurakoさまは高尚なお趣味をこんなにも
広範囲に網羅され、おまけにおたべになるものにも
うんちくがおありで、一体どういうお方なのでしょうか、、
私など昔8ケ月 北京にいたときテレビをつけると
京劇ばかりで、ばかやろー京劇ばかりやりやがって、
と罵っていたばかやろーでした。

Posted by: gen-san | Wednesday, May 26, 2010 at 21:28

うらやましいデスわん、テレビをつけたら京劇なんて…。
でもやっぱり、ナマの舞台に如くはナシ、ですけどcatface

で、ワタシですか?
ワタシはそこいらにいる18歳のコムスメですが、なにか?smile

Posted by: SAKURAKO | Thursday, May 27, 2010 at 11:19

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